日本はどうなる
知価革命
文藝春秋社の日本の論点 2010で堺屋太一さんが知的革命について論じています。
堺屋太一さんはアメリカは80年代に変化したと考えています。
80年代以前の考え方は、
近代工業社会は「物財の豊かなことが人間の幸せだ」という発想で成り立っている。
ということです。
文字通りですが、物がたくさんあれば幸せという考え方で、我が日本も高度成長時代はこのような考え方は主流だったと思います。
この「物財が豊かであること」を満たすために、物をたくさん作る技術が生まれました。
この発想が行き着いたのが規格大量生産である。
同じ物を大量に作ってコストを下げる方法です。
一方80年代以降アメリカは、
「人間の幸せは物財の豊かさではなく、満足の大きさではないか」
という考え方にシフトしていきました。
この変化を堺屋太一さんは、
これは文明の根本的な変化だ。
と考え、
こうした現状を「知価革命」と名付けた。
そうです。
具体的にアメリカ人の生活は下記のように変わったと主張しています。
- 規格大量生産型の製造業の衰退
- 生涯設計の変化
私自身は80年代の終わりに比較的大きな会社に入社しましたが、その頃から現在までの世の中の流れを振り返ると、この『知価革命』という考え方は、正しい考え方だと思います。
製造業の衰退は日本の経済を直撃しました。又、大量生産型はよりやすい労働力を求めて、国外に工場を移転させたりしています。
私の働いている職場でも、ベトナム関連会社に発注する業務も多くなってきています。
生涯設計の変化というのは、『満足の大きさを求める故に、欲しい物を欲しいときに手に入れる』ような考え方を軸にした生き方に急速にシフトしてきたことを指している思います。
そのような生き方の人々を満足させるように、クレジットカードの普及や、24時間営業のコンビニエンスストア、自宅にいながら買い物できるネットショップの台頭などが発達したのでしょう。
又、本文でも論じていますが、バブル景気の崩壊や、サブプライムローンの破綻まで、この『知価革命』という考え方に照らし合わせると、容易に説明がつきます。
日本でも98年の金融危機・大不況以降、知価革命を取り入れようとしたそうです。
官僚主義の規格社会を脱し、自由市場化を進めることで知価社会の突破を試みた、といってもよい。
しかし、この改革は製造業や流通業などの物財の面に留まり、知価社会において重要となる教育、医療、介護、地域運営には及ばなかった。
つまり、やろうとしたけど中途半端だったと分析されている訳です。
この堺屋太一さんの『知価革命』という考え方は諸手を上げて賛成します。
では、今の日本に必要な物は何でしょうか?
私は、
製造業が中国やベトナムと競争していくための政治的な支援と、日本の消費財の生産が中国やベトナムへ流さなくて良くなるような仕組み
が必要ではないかと考える。
どんな支援か?どんな仕組みか?というのはもう少し深く考えてみます。
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